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人生の豊かさについて
わたしは今、人生史上一番幸せだと思う。
ふとしたときに、あぁ、幸せと思ったりする。
それは、ただ道端を歩いてるときだったり、車を運転しているときだったり、スーパーで買い物をしているときだったり、あるときからいつもと変わらない何気ない日々の中で幸せを感じるようになり、その幸福感はずっと大きくなり続けてる。
10代、20代のころは何気ない日常の中で幸せを噛みしめるなんて、そんなことは一度もなかった。10代前半で芸能界デビューを果たし、わたしは瞬く間に売れていった。
映画のデビュー作で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し、数々の雑誌の表紙を飾り、ある年の年間CM契約数は第1位で、周りの大人たちはみんなわたしに敬語で話しかけた。
スタジオに到着するとメイクルームはわたしの居心地がいいように抜かりなく準備され、今をときめくスタイリストが用意した素敵な服がずらりと並び、海外帰りの売れっ子ヘアメイクがわたしの注文通りにわたしをかわいくした。
ひとこと寒いと言えば周りの大人がどんなに暑くてもわたしの快適な温度になるようにクーラーを止め、用意されたお弁当をあまり食べなければすぐさま別の食事が用意され、誤ってものを落とせば争奪戦のようにその場にいる全員がそれを拾うために立ち上がった。
自分で拾おうとしようものなら全員から「いいよいいよ、大丈夫だよ、すぐ拾うから姫は気にせず座ってて!」と言われるので、わたしはあるときからものを落としても自分で拾おうとするのをやめた。大人たちはいつもわたしのご機嫌を取りたいのだったら、それをさせてあげたほうが親切だと思ったからだ。
そんなふうに毎日どこの現場に行っても周りがわたしの機嫌を損ねないよう細心の注意を払いながら動き回り、過剰なまでの姫扱いをされた。
ファッション誌にファッションショー、ラジオにバラエティにドラマに映画になにからなにまで引っ張りだこ。歌手デビューまでして日本中からもてはやされ、芸能界に憧れる女の子が欲しがるものをわたしは全て手に入れた。
でもわたしは幸せじゃなかった。
全然、幸せじゃなかった。
数々の大きな賞をもらっても他人事のようにしか思えず、なんにも嬉しくなかった。
わたしが生きてたその日々はわたしの人生のはずなのに、わたしには仕事をチョイスする権利もなければ、寝る暇もなく働いてるこの仕事でいくらもらっているかすら知らなかったし、自分がやりたいことをする時間なんてまったくなかった。
誰かが勝手に決めたことの責任を負う理不尽さは、だんだんわたしの心を壊していった。
そんな日々が続いて、わたしはとうとう仕事に行かなくなった。
芸能人なら誰もがやりたいであろう大手企業のCM撮影も、夢のようなはずの表紙撮影も、全てやめた。
ただやめたといってもそんなに簡単なわけはない。代用のきかない仕事なだけにそれまではどれだけ熱があろうと必ず時間前に現場入りし仕事をこなしてきたわたしには、この決断がどれだけ迷惑のかかることなのか、簡単に想像がついた。
それでもわたしはもう、自分で稼いだお金なのに金額も知らされず管理されて親に勝手に使われたりすることも、自分の体なのにネイルひとつやりたいようにできないことも、本当は泣きたいのにカメラの前で元気いっぱいにおちゃらけることもできなくなってしまっていた。
中略
それまでわたしは両親に、「わたしは芸能活動をそんなに長くはできないと思う。だからお願いだから貯金だけはしておいてほしい」と何度も頼んでいた。
そして、もうどうしても仕事に行けなくなってしまったタイミングで親のところへ行き、わたしはもう現場に行けない。でも生きていかなくちゃならない。芸能界以外でできる仕事を探すからそれまでの生活費に今までわたしが働いて稼いだ貯金を分けてほしいとお願いしに行った。
両親はわたしの稼いだお金で借りていた豪邸の玄関で顔を青ざめさせ、よくわからない言い訳を繰り返し、数時間後にやっと持ってきた通帳には豪邸の家賃の1ヶ月分にも満たない額しか残っていなかった。
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Source: 芸能人の気になる噂