-
おニャン子クラブ・新田恵利さん(52)の現在がこちら
投稿日 2020年4月5日 16:30:08 (息抜き)
フジテレビ系で「夕やけニャンニャン」が始まり、おニャン子クラブが「セーラー服を脱がさないで」でデビューした1985年から今年で実に35周年。約20年ぶりにステージに立つと決めた新田恵利(52)は今、何を思うのか。
◇ ◇ ◇
――今も往年のファンとの交流が続いているそうですね。
「はい! いつも変わらず寄り添ってくださり、応援してもらっています。その感謝を伝えたくて、3月に35周年記念のソロライブをと決めたんです。(新型コロナの影響で)皆さんと心から楽しめる状況ではなくなり、来年に延期とさせていただいたのですが、そんな時も『今まで待った長い時間から考えれば1年なんてあっという間』とか『来年を待つ楽しみができた』という声を届けてくださった。本当に優しいのです」
――それだけおニャン子は鮮烈で、若い男たちの胸を焦がした証拠では?
「バブルに向かって、日本が元気いっぱいでしたね。だから私たちもはじけられたのかも。『会員番号4番 新田恵利です』とカメラの前で初めて自己紹介した時のドキドキは、今も胸にあります」
――当時のあまりの売れ方、熱狂ぶりに戸惑っていた部分もあるとか。
「まあ階段ではなく、エスカレーターで一気に上へ上へと運ばれたようなものでしたからね。放課後、旧フジテレビへと続く道で私を待ってくれる方の人数が日に日に増えていって、わあ、どうしようって。タレントである自分がよく分からなかった」
――ごく普通の高校生の感覚であったと。
「ええ。『セーラー服を脱がさないで』のジャケット撮影の時、とんかつで有名なお店のお弁当が出たんです。包装紙には『とんかつ』の文字があり、食べ盛りでしたから大喜びで蓋を開けたんですけど、中身はシャケ弁で、がっかり。売れてからはそんなことはありませんでしたので、初期メンバーの間ではそれ以降のメンバーを、『シャケ弁を知らない恵まれた世代』と呼んでました」
――そのデビューから35年もの時が流れました。
「本当に、あっという間。これだけ長い月日を生き、ここ数年は母の介護や大病(脳動脈瘤手術)とか大きな変化もありましたけど、だからこそ今、無事に過ごしていることに、とても幸せを感じます。残りの人生もあっという間なんだろうなぁ」
■国生さゆりからは「恵利は恵利よね」
――「セーラー服――」や「冬のオペラグラス」を今も歌ったりしますか?
「プライベートで歌うことはないんですけど、何年かに一度は番組などで歌うので、そのたびに振り付けを確認しているから忘れてはいません。近々では『THEカラオケ★バトル』(テレビ東京系)で『冬のオペラグラス』を歌います。原曲のキーが高いこともあって声が出ず、耳鼻科に行ったら声帯も筋肉ですから年を取るんですって。そんなことにも年齢を感じさせられちゃいますけど(4月5日放送の)同番組では、記念ライブで着る予定だったワンピースで頑張ります!」
――21世紀になって、はや20年、当時思われていた大人の自分と、実際のご自分は違いますか?
「若い頃思っていた50代は、もっともっと大人でしたね。いざ自分がなってみると、まだまだ未熟さを痛感させられます。私たちの時代は20歳になれば『脱・アイドル』で、本人も事務所も、どうするか悩んでいました。その悩みが一番で、それが将来、大人になるということでした。あの頃の私が今の私を見たら? 『老けたけどブレてないね』って笑いそう。(国生)さゆりちゃんからも『恵利は恵利よね』って言ってもらってます」
――マイペースということ?
「そうですね。現場に来るのは最後で、帰るのは最初だったり。ははは」
4/4(土) 9:26配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200404-00000001-nkgendai-ent
https://livedoor.blogimg.jp/uwasainfo/imgs/f/c/fc25e8ab.jpg
https://livedoor.blogimg.jp/uwasainfo/imgs/2/3/23a5e658.jpg
新田 恵利
日本の歌手、タレント。
80年代アイドル。
オフィスウォーカー所属。
1985年におニャン子クラブの会員番号4番としてデビューした。
ソロデビューしたときに歌った「冬のオペラグラス」がヒットした。
上福岡市立第一中学校→埼玉県立福岡高等学校卒業。
ウィキペディア
生年月日: 1968年3月17日 (年齢 51歳)
身長: 156 cm
アルバム: E-AREA、 ERI、 PANIC THE WORLD、 ritardando
続きを読む
Source: 芸能人の気になる噂
最新情報